「うちの子は絵が下手で」とか「何を描いてるのかさっぱりわからない」と心配されるお母様がいます。子どもたちが絵を描いたとき、その絵の「上手」「下手」を決めるのはお母様ですが、その根拠はどこにあるのでしょう。だいたいの場合、大人の目から見た形通りに、またはそれに近い形が描けているかどうか、というようなことです。 まず、子どもに1才を過ぎる頃から画材を与えてみましょう。最初は、クレヨンや鉛筆が何であるかを確かめるために口にもっていき食べ物ではないとわかります。それから、お母様が何かを書いているところを目にしたり偶然線が描けた経験から、それらが「かくもの」であるということを理解していきます。そして、偶然描けた線や点がおもしろくてなぐりがきが始まります。なぐりがきはその後〇が描けるようになるまで続きます。但し、同じなぐりがきでも最初は色がでることがおもしろく、言語能力が付いてくると、段々なぐりがきの中にもスト−リ−が出てきたりします。 3〜4才の子どもが夢中になって「ブツブツ」言いながら紙に向かっているとき、子どもの想像力は広がり、楽しいお話がどんどん沸いてきています。またその時期、できあがった絵を偶然何かに似ていることから「見立てる」ことができたり、逆に「〇〇を描こう」と目的を持ってなぐりがきをするようなこともでてきます。そうなると、できあがった絵は、大人から見れば唯のなぐりがきでしょうが、子どもからすれば立派な作品です。 その時、できあがった絵に充分興味を示してあげて下さい。「ブツブツ」言いながら描いた作品なら、「ここに描いてあるのはなあに?とてもきれいな色で描いてあるけれど・・・?」と尋ねてみると、きっとたくさんお話をしてくれるはずです。子どもは、自分の描きあげた作品に興味を示してくれたので、得意になって話します。そのお話を「そしてどうなったの?」と嬉しそうに頷きながら聞いてあげましょう。決して、「〇〇には見えないわ、〇〇はこう描くのよ」などとは言わないで下さい。所詮、大人の目から見ればなぐりがきです。ムキになって、形を望むより、自由にのびのびと表現された子どもの力を受け止めてあげましょう。 この時期に描き方を教えると、それ以外のものを描こうとした時、どのように描いていいかわからず不安でお絵描きをしなくなることもあります。また、いつもいつも描いた絵にスト−リ−があるとは限らないですし、言語能力が付いてきていないと、お母様に上手く説明できないので話さないこともあります。そんな時は、「楽しそうに描けてるね」など一言具体的な箇所を認めてあげましょう。 子どもの絵が具象的になっていく時期には、個人差があります。例えば、空間的な認識力が高い子どもの場合は低い子に比べると立体的に物事が捉えられるので、描いている絵は平面ですが、大人から見ると少し実際のものに近い形が描けたりします。また、描いている経験が多いと、思った線や細かい描写ができるようになるので(単に手の動きがスム−ズになるだけのことなのですが)、大人から見た「上手い絵」に近くなります。但し、具象的な絵だけが上手い絵ではありません。子どもの絵は、子どもの心の表現です。のびのびと自由に楽しんで描いているかどうかを見てあげましょう。 なぐりがきが楽しめるようになり、描く回数が増えてくると、色々な線や点が描けるようになります。「電車の線路だよ、ビュ−ン」といって、長い直線を描いたり、「雨が降ってきたよ」と言って、ポツポツといつまでも点を書き続けることもあります。その内に、手、腕、肩の関節がスム−ズに動くようになると〇が描けるようになります。そうなると、子どもの絵の世界はどんどん広がりを持ってきます。例えば、お母様が長い直線を道に見立ててきっかけ作りをします。そこに自動車が走ってきました。バスもトラックも走ってきました。自動車は小さい〇で、バスやトラックは大きい〇で表現します。バスの大きな○には、小さな○をたくさん並べて窓に、トラックの大きな○には、後ろに線を付けて荷台に見立てたりもできます。 このようにこの時期の子どもの絵は、○と線の組み合わせで表現します。その代表が一番大好きなお母様の絵です。○の描き始めはとにかく人の顔を描きます。その中でも、大好きなお母様の顔は大きくて、弟の○が小さかったりして心の様子がそこでも現れます。顔も目も口も鼻もすべて○です。そして、頭の上から線が3,4本飛び出ています。それが髪の毛です。顔を充分描いていくと、ある日突然顔の○から下に2本線がのびています。そしてその線から左右にそれぞれ1本ずつ線がのびます。顔の下にのびた線が足、足から横に出ている線が手です。「頭足人間」の出来上がりです。頭足人間が現れてくる時期は、幼稚園年少から年中が多いようです。頭足人間が描けるようになってくると、やっと少し形になったものが描けるようにもなってきます。ある日家族でお出かけをしていて、何か印象に強く残ったことがあると、それを表現したくなります。そうなると、お母様が待ち望んでいた大人が見てなんとなくわかる絵が描けるようになります。ただし、その場合も子どもの話を聞いてみることが大切です。見た瞬間「あ、〇〇を描いたのね、上手に描けたね。」と誉めたのに、子どもが描いたものはそうではないかもしれませんし、〇〇と言う一言では終わらせたくない想いが描いたものに込められていることもしばしばです。絵の出来不出来ではなく、まず話を聞いてみることで子どもの想いが伝わってくるでしょう。お母様はその想いを受け止めて「〇〇で遊べて楽しかったね」と付け加えて下さい。その一言で子どもは大満足です。この時期になると、黙々と自分の気に入った遊びを続けていることがあります。その場合は、横から口を挟まずにじっと見守っていてあげましょう。遊びが一段落すると、子どもの方からお母様に声を掛けてくるでしょう。たまには、「楽しそうに遊んでいたね。今度はあなたの遊びをお母さんにも教えてほしいな。」と言ってあげれば、お母様に気に入ってもらえるよう、その遊びをもっと工夫するようになります。それが子ども自身の「考える力」になります。その時、考える時間を与えず「こうしたら?」「このほうがいいよ」と大人が言ってしまうと、考える方法を覚えないままになってしまいます。どんな場所、どんな時にも自分で考えて行動を起こせる子は、どこにいても不安がないですし、伸び伸びとありのままの自分を表現することができます。 幼稚園の年長や小学生になってから、「うちの子は絵が下手で・・・」とか「うちの子は絵がかけません。」と言うお母様のご相談を受けることがあります。まず、上手下手を決めるのは一体誰なのでしょうか。間違いなく、それは、周りの大人です。大人の価値観で決めているのです。例えばお友達の絵と比べてみて、「何を描いているのかわからない」「実際の色と違う」などなど。大人は、つい実際に見たものに近い形や色で描けている絵を「上手い絵」と思いがちですが、そうなると、なぜピカソは天才なのでしょうか。あの絵は、ピカソの心の現れだ、ぐらいに思わないと、とうてい凡人には理解しがたい絵です。ただ、絵にひそむパワ−は、凡人にも感じ取ることができるのではないでしょうか。子どもの絵には子どものパワ−が映し出されます。いつもは、かわいいお姫様とチョウチョとチュ−リップしか描かない子でも、時間をたっぷり与えて何枚も描いている内に、心の中にある想いをたくさんのお話と共に描いてくれます。そうなると、子ども自身が充足感でいっぱいになり、表情もおだやかになり、また絵が描きたくなります。 次に絵を描けなくなった子には描けなくなった経緯があります。例えば、誰かに描いた絵をけなされたり、描き直しをさせられたり、描いた絵を認めてもらうことがなかったり・・・。子どもの絵は、子どもの心の表現ですから、それを受け止めてもらえないことを悟ってくると、段々と描く回数が減ってくるのは当然です。描かない子に、「絵を描く時間だから早く絵を描きましょう」とか「あなたの絵はいつも同じものしか描かないから、違うものを描きましょう」と促しても、それは無理というものです。まして「これは、こういう風に描くものよ」と描き方を教えてしまっては、せっかく伸びかけていた手が、思わず引っ込んでしまうというものです。幼稚園年長児や小学生になって、絵を描かない子は、それまで絵が描ける環境になかったと、お母様が割り切ってしまって(少し反省もして下さい)、無理に描かさない方がよいでしょう。例えばその時期になると、工作の方が好きで、絵は嫌いという子も中には出てきます。その場合は、得意な工作の作品を誉めてあげ、みんなが見える場所に飾ってあげて下さい。工作を通して、絵を描く必要が出てくることもありますから、その時を待ちましょう。また、お友達の関係も密になってくる時期ですから、お友達の絵を見て影響を受け、描く絵が増えることもあります。工作も絵も創造することは何もできない・・・と言う場合は、本を読み聞かせしたり、ゆっくりと子どもの話に耳を傾けるなど、子どもの気持ちを引き出す時間を意識して多めに作るようにしましょう。その時も絵を描いているときと同じで、自分で考えたことをゆっくりで良いので、自分の言葉で表現させるようにしましょう。子どもが言ったことを否定したり、指摘したりしないようにしましょう。 いずれにせよ、子どもが成長していく過程では、子どもに合わせた時間の流れが必要です。絵を描くことが好きな子は、放っておいても夢中になって絵を描き続けます。描くことに抵抗がある子には、やはり、それなりの時間を与えてあげなくてはなりません。描き出すまでの時間、描いている時間、お話を聞いてあげる時間、認めたことを伝える時間です。それにつきあうお母様は、大変でしょうが、例えば漢字を覚えるのが苦手な子には、漢字に費やす時間を増やさなければ、覚えきれないのと同じことです。違うのは、何かを創造するという作業は、それがたとえ拙くとも、本来子どもが持っている世界であり、上手く関わりが持てさえすれば、子どもの持つパワ−が限りなく発揮される分野だというところです。 |