小学校受験をさせようと考えたときに、一番考慮しなければいけないことは、受かるためだけの訓練ではなく、学習面において将来に繋がるようにしなければ意味がないということです。

現在小学校受験をさせている方々の多くの状況を説明しますと、いわゆる大手の受験塾に通わせて、父兄に何の説明もなくただただ出題傾向のプリントをさせるか、実技の練習を繰り返しさせ、それを定期的な試験で順位や偏差値を出し、親はそれに振り回されて、繰り返し家で練習をさせるといった悪循環になっていることが多いように思います。

幼児期の子どもが、受験のノウハウだけを覚えようとすると、そのノウハウを覚えるために、何度も何度も繰り返し練習することが必要になります。それでも良い結果が出ない場合、親は1日に50枚ものプリント問題をさせ、「うらしまたろうに出てくる登場人物は何と何?」と質問し、幼児期の子どもにとって必要のない丸暗記をさせてしまうことになるのです。

まず、学校側がどうして、あのようなプリント問題を出し、実技のテストを実施するのかの意味を知らなければなりません。プリント問題1枚1枚に将来国語・算数・理科などの教科につながる意図が含まれているのです。また、プリント問題の大多数は、幼児期に発達する右脳の機能をベ−スに作られています。なぜかというと、そのベ−スがしっかりしていないと、今後学習において伸び悩むことが予測されるからです。また、実技においては、家庭での親子関係が見られます。しつけ面・道徳面・運動能力・手先の巧緻性等々まさに適応能力(EQ)を見ようとしているのです。例えば、「系列完成」という問題があります。


「空いているところにどの印が入るでしょう。」という問題です。これは、将来算数の中で、
・2−4−( )−8−10−12−14−( )  
・1−2−4−( )−11−16−22−( )−37
といった問題に繋がります。その後、「2,3,4,5,6,7,8,9,10のどれで割っても1あまるような4桁の整数は全部で何個ありますか(灘中)。」となります。つまり、これらの問題を解くには、系統立てて物事を推測し、判断していく力が必要なのです。同時に答えを感覚的にまた直感的に見つけだす力、一歩踏み込んで思考していく力があれば、申し分ないでしょう。

そういった問題が持つ意味を理解しないまま、勝手にお母さんがやり方を決めて子どもに押しつけてしまうと、子どもの思考力は伸びません。幼児期の子どもたちがこの系列完成の答えを見つける最初のやり方は、「なんだか○と●が少ないようだ。」という感覚的な捉え方なのです。そこから、順序よく並んでいるというお約束に気がつくまでに時間はかからないようですが、自分で気がついたこの問題の意図は、その後、出題のされ方が変わってきても、答えを見つけだすことが出来ていきます。しかし、親がまず解き方を教えてしまうと、同じ問題でも円上に印が並んでいるだけで、違う問題だと捉えてしまうようなことになります。

以上のようなことがわかってくると、むやみやたらと、出来ない項目ばかりを練習させるといったことはなくなってくるはずなのです。そして、同じプリント問題をさせるにしても、その中で、常に新しい発見や驚きがあり、お母さんと一緒に楽しくこなしていけるならば、お勉強嫌いになることもなく、小学校受験を通して益々良い親子関係が作られていくことだと思います。これこそが、将来につながる小学校受験なのです。もし、親子共々息詰まりながら受験をさせて合格を手にしたとしても、子どもの成長はそこで終わるわけではありません。その後、中学受験あるいは、大学受験があるでしょう。出来るならば、真の力を持って、合格してほしいと願います。

中学受験を考えて、「少しでも環境の整った小学校に・・・」と考えておられる父兄も多いようです。現代は、どこを出たかではなく、何が出来るかという時代ですが、例えば、将来医師になるという目的があるとします。その場合は、高い教育を受けることが必要になります。その子が将来国立大学の医学部を目指すとすると、いわゆる難関中学に入学できればその確率を高めることが出来ます。そして、そのために大手進学塾に通い、6年生の段階で、最高レベルのクラスに残っていなければなりません。みなさんそう考えて、進学塾に行くわけですが、入塾当初は上のクラスにいたのに、学年が上がるとともに、下のクラスに落ちていく子がいます。誰よりも熱心に勉強しているのに下がっていくのです。

逆に6年生の1学期まで、校内や校外の活動をしっかりやって、先の子の半分も勉強していないのに、夏休み以後ぐんぐん成績が伸びる子もいます。このふたりの差はどこにあるのでしょうか。それは、簡単にいうと、勉強が好きか、嫌いかということです。できる子は、《新しい物と出会う−やればできた−もっと難しい物に取り組みたい》というように成功感に溢れ、思考することが楽しくてしょうがありません。できない子は、むりやり理解させられてきた、いわゆるパタ−ン学習をしてきた子です。パタ−ン学習とは、同じ問題を何度も何度も繰り返し、解き方を丸暗記させるやり方です。
難関中学は、有名小学校と同じように将来的に伸びる子どもがほしいわけで、そのためにじっくりと物事を考えられる子を望んでおり、実際年々入試問題の傾向もそのようになってきています。

それでは、その「できる子」というのは、遡って3才の段階でどういう子であったのでしょう。それは、元気で明るく、何に対してもチャレンジできる子です。決して、親から見れば「良い子」の枠にはまっていなかったかもしれません。「やんちゃで困ります。」と言われていた子かもしれません。でも何事に対しても、一生懸命頑張れる子だったに違いありません。逆にできない子は、「イヤ」が多い子だったのです。つまり、「優秀児にするために」でも述べましたように、情緒の安定のもと、適応能力と自発性が発達しているという性格形成の土台がなければ、知的能力を伸ばすには限界があります。

よく有名小学校の受験で進学塾の先生から「申し分なし」という子が合格できず、どこそこの七不思議というようにいわれることがありますが、それは単に、その塾の先生が模試の結果だけを見て、その子の情緒面や自発性の発達を見落としているにすぎないのです。小学校の試験官は、沢山の子どもを観察しているわけですから、付け焼き刃のパタ−ン学習でついた力など、いとも簡単に見破ってしまうという訳です。

いずれにせよ、小学校受験をさせるに当たっては、その成長に合わせて、向き不向きがあります。まだまだ幼さの残る子どもたちが、ある程度の束縛は必ず受けるわけですから、子どもの気持ちをつぶさないように親は心してかからなければなりません。「前に出来ていたのに、あんなに練習したのに、またできなくなっている。」とお母さんが嘆かれます。幼児期の子どもたちは、そんなものなのです。

どんなに楽しい雰囲気で、意欲旺盛な子でも忘れることもありますし、間違えることもあります。あって当然なのです。でもお母さんは、「自分はあれだけ一生懸命教えたのに、なぜ子どもに通じないのだろう。」と、熱心にされればされるほど、落胆は大きいようです。まだその子が赤ちゃんだった頃、「ママ」と呼んでほしくて、何回も何回も気長に語りかけたことでしょう。

はじめは「マ」としか言えなかったかもしれません。それでも、「ママ」と呼んでくれる日を心待ちに笑顔で語りかけていたことでしょう。子どもの成長とはそんなものです。少し進んだように見えても、また後戻りすることもあります。準備させている中で、「苦手だな」と思うところは、きっと成長してきた過程でそこに付随する関わり方が少なかったのです。「なぜ出来ないの!」と強く言う前に、お母さん自身にふり返っていただき、足らなかったところを埋めていくことが必要です。埋めないまま、その上には積み上がっていきません。まして、将来学習面で、その足らないところは必ず致命的な弱点となります。焦る必要は全くありません。幼児期に充分に関わって取り戻せばよいので
す。