字を教える前に

幼稚園に通い始めると、字が読めて、書ける子がいます。そんなお子様を見て、「早く字を教えなくちゃ!」と思われるお母様方は少なくありません。そうなると、ドリルを買ってきて、机の前に座らせて、いわゆる「字の練習」が始まります。

子どもは、生まれてから「初めての事」を繰り返し繰り返し経験しながら、今日まで成長してきました。「ひらがなを書くこと」も同じで、子どもにとっては、新しい経験です。絵本を読んでもらうとき、お母様が字が書いてあるところを見ながらお話をしてくれるので、「そこにお話のもとになる何かが書いてある」ということに気づくことから始まります。

だから、絵本をたくさん読んでもらっている子は、字に対する興味が早く芽生えるのです。大人は、時期が来たら「教えなくてはならないもの」「覚えなくてはならないもの」と捉えていますが、子どもに興味がないものを教えようとすると、「訓練」になります。幼児にとって、「訓練」はおもしろくないもの、辛いものになりかねません。

始め、子どもたちは、口から発する言葉が「字」に置き換えられることを理解していません。ということは、「あひる」と発音している言葉が、ひらがなで書けることもわかっていないのです。ひとつの音に対してひとつの字で表せることもわかっていません。そのような色々な事の理解がないまま、ひらがなを書くことだけを教えても、「し」を線としては書けるようにはなりますが、「しまうま」の「し」であること、「し」と読むのだということを理解するまでにとても時間がかかってしまいます。

確かに、繰り返し、「『し』を書きましょう。」と言い続け、書く練習をすれば、その内に、「し」と書いて「し」と発音し、「しまうま」の最初の文字であることは理解できていくでしょう。その時、興味があれば、くらいついてきますので、すべての事が結びついて、早く覚えることができます。

でも、興味がない場合は、「また忘れちゃったの?!」とお母様は嘆きながら、何度も何度も練習をさせることになります。こうなると、「訓練」になってしまいます。その時のお子様の状態を考えてみると、好きでも、楽しくもないことに対して、同じ事を何度も言われたり、させられたりしています。机の前にじっと座ることだって、イヤかもしれません。

「ひらがなの練習をしましょう。」というお母様の声を聞いて、逃げ出したくなる子すらいるかもしれません。もっともっと他の遊びたいのに・・・と思っていることでしょう。大人でも、暗記したものは、数日中に忘れてしまうと言われています。そこにイメ−ジが伴えば、長期的な記憶として残ります。「書く」という単純作業だけを続けても、すぐに忘れてしまうのは当たり前のことなのに、何度も何度も練習を続けるのは、あまり意味がありません。

ひらがなを書く練習をする前に、「読む」興味付けをしましょう。絵本にたくさん触れることは当たり前のこととして、まずは、ひらがな表を目につくところに貼りましょう。時々その前に座って、あひるの「あ」探しをしましょう。同じ事を絵本や新聞でもするのです。お母様が新聞の中で見つけた字をお子様に見せるのです。そうすれば、新聞は「字が並んでいて読む物」という理解ができます。

漢字の存在も知らせることができます。また、新聞は大人が読むものではなく、子どもだって、「読めるんだ!」と感じることもあるでしょう。小学生になったら、小学生新聞を毎日読ませたいと思っているお母様もいらっしゃるのではないでしょうか。「新聞」に対する興味付けも、そのようにすれば幼児から始めることができます。「字」とは関係ありませんが、記事の中で、お子様が興味を持ちそうなものは、「こんなことが書いてあるよ」「へぇ、××なんだって〜」とお母様がお話をしてあげれば良いのです。

写真が載っていれば、見ながらでも良いし、文字だけの記事であれば、「ここにこんなことが書いてあるのよ。」と話してあげれば、「新聞って、知りたいこと、おもしろいことが載っているんだなあ」と思うでしょう。「字」探しをする1番最初は、お子様の名前探しです。名前の字が1つずつ探せるようになったら、発している音が字で表せるのだということが早く理解できます。また、他の字にも着目できるように色々な場面で字探しをしましょう。「あ」から始まる言葉集め、しりとりなど、字が意識できる言葉遊びも取り入れましょう。

わざわざ机に座らなくても、字に対する興味は親子の係わりの中で、楽しく広げることができます。字に対する興味が強くなれば、ひらがな表を貼っておくだけで、勝手に字と読み方を覚えるようになります。「いつの間にかすべて読めるようになっていた」とおっしゃるお母様がいらっしゃいますが、お子様の興味の芽生えとお母様の係わりがちょうどよいタイミングで行われた結果でしょう。ひらがな表にカタカナも記載されていれば、字に対する興味を持った子どもであれば、ひらがな・カタカナ両方区別なく同時に覚えてしまいます。子どもは、字も絵と同じように形で捉えます。この線が曲がっていて・・・という理解ではなく、大体こんな形だと、1文字1文字を認識するのです。

「書くこと」ですが、書くためには、運筆力、ものをじっくりと見る目が必要です。子どもが字を書こうと思っても、腕や手や指がうまく動かなければ、字を書くことはとても難しいことです。ボタンをはめたり、チャックを閉めたり、歯磨きのチュ−ブから歯磨き粉をしぼり出したり、ハンカチをたたんだりと、成長に伴って、自分の身の回りの事がうまくできるようになっていきます。

これは、日々繰り返し行われることなので、手先の巧緻性がついてきて、スム−ズにできるようになります。お箸がうまく使えないというのも、字がうまく書けないのと同じで、そこだけを練習しても、動きがついてきていないのですから大人が思うようにうまくはできなくて当然なのです。例えば、身の回りの事で、大人の手を借りていることが多いようであれば、毎日毎日のことなので、気長につきあいながら、自分でできることを増やしましょう。幼稚園に入れば、幼稚園の準備も含めて一通りの身の回りの事は自分でさせるよう心がけましょう。その上で、お母様のお手伝い、食事の準備やお洗濯物をたたむ、ふき掃除など、手伝ってもらう材料はいくらでもあります。

これらはすべて手を使うことなので、手の動きの練習になっています。また、手先指先の動きは脳に刺激を与えますから、どんどんさせて頂きたいことです。手を使う量(経験)が少ない=いつまでもお母様がしていることが多ければ、それだけ、手先の巧緻性を伸ばす時期が遅れてしまっていることになります。遊びで言えば、細かい作業を要する遊びとお絵描きをたくさんさせると、「字を書くこと」に繋がります。

積木をそうっと積もうと思っても、巧緻性がついていなければ、ガチャンと乗せてしまい、せっかく積んだ積木が崩れてしまいます。また、細かいところに意識が薄いと、「は」も「ま」も同じ形に見えてもおかしくないのです。大人は全然違う字だと思うでしょう。感覚的に物事を捉える幼児にとっては、「同じように丸いところがある字」にしか見えないのです。細かい作業をするためには、細部を見つめる目、細部に気づく気持ちが必要です。例えば、道を歩いていて、「お花が咲いてるね。」と声を掛けるのと、「小さいタンポポが咲いてるね。」と声を掛けるのでは、子どもの意識は変わってきます。

前出の新聞の中の字探しをする時に、全然興味を持たない子は、いくらお母様が一生懸命係わっても、「ふ〜ん」と聞き流してしまいます。そのような子は、字に対する興味というよりも、細かいところへ向ける気持ちがまだまだ育っていないので、興味が薄いのです。赤ちゃんから幼児へと育っていく段階で、赤ちゃんの時には、早く「ウン」でも「アン」でも声を出して欲しいと願い、お母様は働きかけをします。

「ママ」や「パパ」が言えるようになると、次に2語文、3語文を話して欲しいと願い、たくさんの言葉をかけ、たくさんの言葉を教えようとします。しかし、ある時期が来ると言葉の働きかけを忘れてしまうお母様が多いようです。その時期とは、一通りの会話ができるようになった時です。一通りの会話ができると、「もう安心」と思ってしまいます。子どもは、言葉も遊びも気持ちも、すべてが関連して成長します。

言葉が複雑になれば、遊びも複雑になります。また、言葉が複雑になれば、気持ちも複雑になります。なぜなら、自分の持っている表現力や語彙で物事を考えたり、感じるからです。また、物を見る視点が細部まで届くようになると、こだわりが出ます。そのこだわりは、絵の表現や、言葉の表現になって現われます。こだわりを表現しようとすると、細かい手先指先の動きが必要になります。

例えば、紙飛行機の折り方を教えたとします。最初は、線も強く付けられないし、角と角を合わせることすら難しいかもしれません。細かいところへ意識が届くようになると、「線を強くつけるのよ。」「角と角を合わせるのよ。」という言葉に反応してくれますが、意識が薄い場合は、その時には注意を払いますが、次に折るときには忘れることが多いのです。言葉や視点が細かく複雑になれば、着目する部分に対しての疑問も複雑になるわけですから、知識欲が伸びて、知識が増えます。

男の子の中に、虫が大好きで、強い興味を持つ子がいます。虫の名前だけでなく、生態や特徴にも興味を広げ、そこから自然に対する興味へと、どんどん知識が膨らむように、親が係わりを持つことを意識すれば、理科の学習へと発展させていることになります。

このように、幼児期の育ちは、すべて学習に関わっています。小さいながらに、幅広くたくさんの知識や知恵を備えている子は、本人の意欲が充分に育っていることに加え、親が意識して言葉を掛け、興味が広がるように係わっています。そして、「興味の芽生え」を見逃さずに、解決法(調べたり、作ったり、でかけたり等々)を知らせて、解決する姿を見守ることが大切です。見守らずに先々に与えてしまうと、子どもは考えなくなります。考えないことは、楽しくないことです。なぜなら、一方的で、発見や驚きがないからです。自分で考えて見つけたり、わかったりしたことは、本当の「力」になります。