自分で決定する力
●就園前児:「ごはんですよ〜」と声を掛けると、自分でおもちゃを片付けて、テレビを消して、手を洗って席につく。
●幼稚園児:お庭で走り回って遊んで、お部屋に入ると、暑くなったので、自分で上着を脱ぐ。 ●小学生:明日は遠足だから、しおりに書いてあるものを準備して、早く就寝する。 上記に挙げたのは、当園がよくお話しする「自立」に係わる項目のように見えます。目に見える部 分としては、そうなのですが、これらのことができるために最も必要なことは、「自分で考えや行 動を決定する力」です。例えば、二股の分かれた道に面した時に、様々な条件や状況を判断して、 どちらの道を選ぶのかを決定する力です。 上記の行動を個々に分析してみましょう。就園前児については、お母様の「ごはんですよ。」という声掛けによって、まず「今からごはんを食べるから、その前にすることがある。」という気持ちが持てることが大前提になりますが、「そうか、ごはんなんだ。じゃあ、片付けてごはんを食べよう。」と気持ちを決めることができて自分から動き出します。 もっと言うと、お片づけと手洗いのどちらを先にするのか、ということも自分で順番を決めて動くのです。その時に、行動や順番を決められない子は、いつまでも動き出しません。お母様がいちいち「次はこれをして」と言わない限り、また、言ってもすぐに動かない場合が殆どでしょう。幼稚園児が、「暑いから自分で脱ぐ」 という行為ができる為には、まず自分で「暑いこと」「汗をかいていること」が実感できなければ なりません。 そして、その状況から脱する為に「脱ぐ」かどうかを自分で決めるのです。小学生が、 「明日は遠足だけど、何を持っていくの?」「遠足だから早く寝なさい。」とお母様から言われずに、 自分で考えて動く為には、遠足という状況を理解して、準備や就寝が普段と違って特別に必要なことなのだと捉える力も必要ですし、その状況に向かう為に、自分で行動を起こすこと−例えば、夕食後にすることを普段と変えるなど−を自分で決めて自分で動くのです。 夕食後いつもダラダラと テレビを見て、「お風呂に入りなさい。」「明日の用意や宿題は終わっているの?」というお母様の声がないと動かない子は、明日遠足だからといって、特別に必要なことがあるという事すら理解できません。普段から、自分で決めて、自分で行動ができている子どもは、お母様が何も言わなくても、全部自分で決めて動きます。そして、自分の考えや知識や経験が不足していて、どうしたら良いのかわからないことが出てきた時も、「わからない」ことをはっきりと自分で認識しているので、他者(親、先生、友人)に聞いて処理したり考えることを厭いませんから、どんどん視野が広がり、考えたり行動する判断材料である条件や状況を益々広く深く理解できることになります。 上記のいずれの場合も、周りの大人からの声掛け多ければ多いほど、声を掛ける時期が長くなればなるほど、いつまでも「自分で決定する力」は育たないことがおわかりいただけるでしょうか。 但し、様々な条件や状況を判断する為の材料は、ずっと大人が伝えて知らせていかなければなりません。「暑いから1枚脱ぐ」ことを例に挙げると、何も言わずにお子様が汗をかいている状態を見たり、お母様自身が暑いと感じられて、黙って「脱がせてしまう」のと、「あら、汗をかいているわね。暑いのね。じゃあ1枚脱げば涼しくなるけど、どうする?」とたずねて、「脱ぐ」かどうかをお子様に決定させる問いかけをしているのとでは、そのことに対する対処の仕方が大きく違ってくるのは当たり前のことです。 いわゆる「親の手出し口出しが多い」と、子どもはいつまでたっても、暑いのは自分なのだと実感できません。なぜなら、自分で意志を決めて動かなくても、すべて指示が出るか、もしくは、処理が終わってしまっているからです。 1〜3歳のこどもには、「どういう時に、どういう行動が必要なのか」を理解させる係わりを持ちましょう。いわゆる習慣づけ(朝起きてから、寝るまでに、毎日決まってすること)をし、その都度声を掛けて、状況・状態・条件を知らせることから、少しずつ、「次に何をしたらいい?」と聞いて、段々声掛けが減らせるように、お母様自身が意識して係わりましょう。 当然、靴下をはくためにも、歯を磨くためにも、技術的な力も必要です。その時にも、「うまく履くため」「綺麗に磨くため」の条件をお子様に伝えて、知らせます。そして、ある程度技術的にはできるようになったことをお母様が判断し、その後は「歯をきれいに磨くためには、どんなことに気をつければ良いのだった?」と声を掛ければ、お子様自身が自ずと考えて、綺麗に磨くように気をつけます。 それが、自分で自分の行動や考えを決定する力に結びつくのです。いちいち、「ここを見るのよ。靴下の口を両手で引っ張って。はい、そこに足を入れるのよ。」と言い続けた場合、最後には、話を聞かなくなるばかりか、自分が履こうとしている靴下すら見ないで、よそ見をしながら履くようになります。これは、いつも自分が靴下を履くときには、横にお母さんが居て、指示を出し、自分がおぼつかない様子だ と、口ばかりか手まで出してくれるので、あえて「履こう!」という強い気持ちを持たなくても、誰かが何とかしてくれると思っているからです。 鼻が出ていても、その気持ち悪さに無頓着で、自分からティッシュを取りに行こうともせず、口中に流れ入ってもそのまま平気で遊んでいる子がいます。「気持ちが悪いからティッシュで拭こう!」と自分で決めて、自分から動く子どもは、不快さ、処理の方法をわかっているからこそ、自分で意志決定して、遊びを中断してでもティッシュを取りに行きます。でも、いつもお母様が先回りをしてお鼻を拭いていると、自分の行動を決定する機会を失うばかりか、不快さも経験できません。 「不快なことがある」と知らなければ、オムツの中でウンチをしてもいつまでも平気ですし、もう少し大きくなって、部屋が散らかっていても平気でいられるかもしれません。物の整理整頓がで きない小学生は忘れ物をします。でも、平気です。忘れ物をしたことに対する不快感すら持ちませんし、学校の準備をきちんと揃えることに無頓着です。 それは、靴下を見ないで履く行為に似ています。ようは、自分の身に起こる自分に関係する物事が「自分のこと」だと捉える気持ちが弱いのです。それは、「○○ しよう!」と自分で自分のことを決めた経験が乏しいので、自分の周りで起こることも大まかにしか受け取れないからです。だから、準備をきちんと揃えていなくても気にならないし、部屋が散らかっていても 「片付けなくちゃ!」と思わないのです。 これを学習に置き換えると、「きちんとする」気持ちが乏しい子どもは、じっくりと取り組んだり、やり遂げることが難しくなります。また、人の話も大まかにしか聞かないので、先生のお話を、どこがポイントなのかを自分で判断しながら聞くことができません。そして、たくさんの事を聞き漏らします。また、「絶対に覚えておかなくてはいけないから、覚えておこう!」 という気持ちが薄いために、覚えることに無頓着で、テストに備えて折角覚えたものも、ザルから水がこぼれるように忘れていきます。 「きちんと覚える」意識が強い子どもは、その時々で、「覚えよう!」としますので、後から覚え直しをするもの自体が少なくてすみますし、強い気持ちで臨みますから、忘れることも少ないのです。そして、「自分で決定する力」が強い子どもは、精神力も強く、その子どもが持つパワ−そのものが強いので、何に対しても一生懸命ですし、自分の全力を使って、物事に取り組みます。 何より自分で考えや行動を決定できる子どもを持つお母様は、お子様に対して不安や心配事が少なく、常に安心して見守ることができますので、それが良い循環となり、より一層子ども自身が伸びます。 お母様方は、「教えよう」「させよう」という気持ちが強いほど、手出し口出しが多くなりがちです。見方を変えて、「子ども自らが伸びる方法」を考えてみましょう。それには、「自分で決定する力」は不可欠な要素です。では、どのようにすれば良いのかを考えると、「待つこと」「待つ時間」と共に「子ども と一緒に考える時間」を持ちましょう。教え込むのではなく、「どうすれば良いのか」を一緒に考える時間です。そして、「どうする?」「どう思う?」という問いかけを増やし、お子様に決定させる経験を増 やしましょう。 これは、自分の足で自分の進む道を決めさせようと思われるなら、年齢に関係なく、親として必要な係わりです。そして、折角決めたことを、「それは間違っている」と言わないで、「そうかも しれないね。」「それもいい方法かも。」と受け止めて、例えそれが間違っている意見であっても、あえて 失敗させてみる方を選んでみるのも大切な経験です。 失敗する前に気づいて、回避する方法を見つけようとするかもしれません。また、失敗してから、起きあがる為に、試行錯誤するかもしれません。成功を得 るまでの過程にはたくさんの栄養素が含まれています。その栄養を吸収して(自分のものにして)子ども 自らが成長していくのだと思います。 |