先日あるテレビ番組で「学級崩壊」という本を書かれた先生のインタビュ−を見ました。「日本人のお母さんはこどもを自分のものと考えるが、どのように自立させていくのかを考えて子育てをすれば、こどもが荒れることは、少なくなるのではないか」といったお話でした。
まず、親として考えなければならないことは、こどもがどのような人間に育ってほしいのか、また、どのように人生を生きていってほしいのか、ということです。お母様はこどもが小さい間は、日々の生活、育児におわれ、ただ、こどもの成長に右往左往し、それについていくのが精一杯のように見えます。
それまで、夜更かしをさせ、いつまでも着替えようとしない子をロボットのように着替えさせ、テレビをつけたままで朝食をとらせる、といった日々を送っていたのに、「さあ幼稚園入園だから」といきなりこどもを朝早くたたき起こし、「さあ、ご自分でご用意するのよ」と促したところで、こどもは「一体誰のこと?」といった顔です。
そこで、お母様は「もう幼稚園なんだから、早くしなさい。」と、こどもに言ってはならない禁句を並べ立てることになります。
冒頭のお話を考えれば、こどもが幼稚園に入園するに当たって、こどもがその年齢にふさわしい自立を親がどのように促していくのかを考えていかなければなりません。こどもが生まれてから、幼稚園就園までは、3、4年間しかないわけです。
けれどもその間のこどもの成長はめざましく、うまく促せさえすればできることがどんどん増えていきます。例えば、いつもお話しさせていただくように、こどもが自分で靴を履こうとしたときに、紐がついていて、窮屈なお靴では、自分でどうすることもできません。
こどもの靴を履きたいという気持ちは高まっているのに、気が削がれてしまうようでは、親としてよいフォロ−ができているとは言えないでしょう。
例えば、こどもが持ってくるお鞄の中に入れるものをお母様がご用意をして、きちんと仕訳をして、隙間なく詰めたとします。さて、こどもがお鞄の中のお着替えを出そうとしたときにどうでしょう。
自分で扱える状態でしょうか。まず、自分で中身が引き出せるのかどうか、何がどのような状態で入っているのかこどもが把握できているかどうか。
それから、小袋から、必要なものだけを取り出して、また片づけられる状態なのかどうか。
最後に、基本的に「自分のことは、自分でできるようにする」という考え方であれば、全部のお荷物をこどもが自分で持って運べる(歩ける)状態であるのかどうか。
小さいこどもが1人立ちをしていくのに、大人の価値観(特に見栄えがいいといった)で物事を仕切られても、こどもは対処しきれないことが殆どです。
確かな見極めを親が行い、こどもがたやすく自分の力で行動できるように仕向けていくことが、自立を促す親の役目と言っても過言ではないでしょう。
いつも親の手助けを必要とする子は、どこに行っても不安でしょうがありません。そのこどもの不安な様子を見て、また親が不安になります。
うまくフォロ−できている親は、いつもこどもの様子を見て、うまく成長を促しますから、その都度その都度こどもに対する信頼感が生まれます。親の信頼感を受けて、こどもの情緒は安定し、どのような状態におかれても自分で考え、自分で行動を起こし、「もっと、もっと」と、その子の持つ世界はどんどん広がります。
探求心旺盛で、思慮深く物事に対処できる子です。それはつまり、学習を積み上げていく上で、絶対不可欠な要素です。
日々、親からの言葉を受け取り、それに対処するのに精一杯なこどもにするのではなく、親は、後ろからバックアップし、こどもが自分の手で、足で、頭で歩ける子に育てましょう。
そして、たまには、「どのような生き方をしてほしいのか」「どのような人間に育ってほしいのか」「それに向けて親として、どのようにフォロ−していくのか」をあらためて考える時間を作っていただければ・・・と思います。
平成11年3月 ぴーすらんどたいむず掲載
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